中学生時代、いじめに遭った。
中1の2学期から卒業まで、約3年間。詳細は別の記事に記してある。
なんとか頑張って通っていたが、精神的に限界になった中3の夏、思い切って母親に相談しようとした。どうしたら理解してもらえるか、頭の中で何度もシュミレーションした。そして母が食器を洗っている時間なら、ゆっくり話を聞いてもらえそうだと考えた。
「お母さん…聞いてほしいことがあるんだけ…」
「何!?忙しいんだけど!!!」
「あ…ごめんね。」
終了である。結局、言えなかった。
母はいつもこんな感じだった。中間テストで上位を取った時には目をキラキラさせるのに、面倒な話は一切聞きたくないのだ。
大人になって一度だけ、この話を蒸し返したことがある。
「え~覚えてないわよ~だってあの頃お母さん仕事とか忙しくてどうのこうの…」といった反応であった。いじめのことや、話を聞いてくれなかったことは完全にスルーされた。
一言でもいいから、ごめんねという言葉が欲しかったが、甘かったようだ。
そんなこともあり私は、子どものSOSは絶対に見逃さないようにしている。
「辛いことがあったら、お母さんがどんな状況であっても迷わず相談してほしい。あなた達以上に、優先するべきことはないのだから。」と、日頃から子どもたちに伝えている。
それもあってか長男は、学校でのトラブルを早い段階で打ち明けてくれたことがあった。一方的に暴力を振るわれたのだ。「学校に行きたくない」と泣き出した。言いにくいことであろうに、勇気を出して私に話してくれたことを褒め、冷静に話を聞き、本人の同意を得て、すぐに学校へ相談した。学校側も、すぐに相手方へ然るべき対応をしてくださり、2日たたずに解決することができた。
その後、長男は「話を聞いてくれてありがとう。」と言って、結局学校を休むことなく日常を取り戻すことができた。
これは反抗期真っ只中の出来事である。
私はシングルマザーだが、子どもが何らかの事情で学校に行けなくなった時、最優先に対応すると決めている。そのために、あらゆる体制を整えている。大好きな仕事や社会的ポジションは二の次だ。「自分のキャリアを犠牲にしなくていい」と言う人もいるが、犠牲だなんて思わない。子どもを守ってあげられるのは、親しかいない。仕事なんて、選ばなければいくらでもある。何でもできる。当然のことである。
そのように思えるようになったのも、毒親という反面教師のおかげなのかもしれない。