はじめに…
これは20年前のエピソード。私は約2年で治療を終え、その後は一般企業や病院でトータル15年勤務しながら子育てしている。現在進行形で何らかの治療をしている人は、どうか決して焦らないでほしい。治療にかかる時間は人それぞれ。それでも10年後・20年後は今より心身ともに穏やかに進化していることを信じて、小さくてもいいから心に“ともしび”を照らし続けてほしい。
→うつ病①はこちら
体調はいつまで経っても回復しなかった。それどころか、変わらないことに焦りを感じ、不安定になっていた。
新たな会社で人脈を築いていく夫の傍ら、自分だけが取り残されていた。窓の外の真っ白な雪景色が、孤独感をさらに高めた。
接待続きで夫の帰りが0時を回ることもザラだった。
徐々に、自分が存在することの意味を見出せなくなり、死を考えるようになった。
刃物を持ってみたり、紐を探してみたり、首に括ったりしてみた。どれも痛そうだし苦しそうだから、それらを軽減できる方法を模索したりした。
同時期より、感情のコントロールができなくなった。自分のことで精一杯。周りを思いやる余裕なんてものは皆無に等しかった。仕事中の夫に「死にたい」と言って、何度も早退させてしまった。
役職付きの転職後、やらなければならない業務や責任がある中、妻のために早退するなど言語道断だ。信頼に傷がつけば、取り返しがつかない。もともと責任感と正義感が人一倍強い人だった。どんな思いで社長や現場の部下達に頭を下げてくれたことか…。想像するだけでも胸が苦しくなる。自分が連れてきた、という私への責任も感じていたのだろう。
こんな簡単なことさえ、当時の私は冷静に考えることなんてできなかった。
「助けてほしい」それだけだった。
ここまで読んで、違和感を抱く人もいると思う。おそらく精神科関係者であれば(これは…?)と気付くのではなかろうか。それについてはまた別の記事に記そうと思う。
話を戻そう。
そのような双方にとって苦しい状況が長く続いた後、ついに私は入院することとなる。