はじめに…
これは20年前のエピソード。私は約2年で治療を終え、その後は一般企業や病院でトータル15年勤務しながら子育てしている。現在進行形で何らかの治療をしている人は、どうか決して焦らないでほしい。治療にかかる時間は人それぞれ。それでも10年後・20年後は今より心身ともに穏やかに進化していることを信じて、小さくてもいいから心に“ともしび”を照らし続けてほしい。
25歳の時、うつ病になった。
結婚、転職、都会から田舎への引っ越しというライフイベントが重なった直後であった。
元夫は、職場の同僚。首都圏の某外資系企業だ。私はこの会社で働くことが14歳からの夢だった。夢を叶え、憧れの職場の一員として勤務する毎日はとても充実していた。
そんなある日、彼は知り合いの社長から引き抜き話を持ちかけられた。経営する小さな会社の役員として、会社を盛り上げるべく、3年間という条件付きで誘われたのだ。彼も相当悩んでいた。私のことも含めて。
その後プロポーズされ、会社の仲間達に囲まれて結婚式を挙げ、遠い田舎の雪国へ転居した。大好きな会社を辞めることは辛かったが、それ以上に『新しい家庭』という安心できる居場所を得られたことは何よりの幸せだった。3年間という有限条件が心の支えになっていたのも事実である。
多忙な夫を支えなければ…
新しい職場でも活躍しなければ…
田舎の生活に馴染まなければ…
25歳という若さで、これら全てに適応するのは、今思い返せば至難の業だった。
ある日突然ベッドから起きられなくなった。体とベッドが一体化したような感覚で、どうしても起き上がることができなかった。何と表現したら良いのか分からず、欠勤の連絡に困った。これが、約2年間に渡る闘病生活の始まりである。
毎朝、夫がスーツできっちり出かけていく時、自分はパジャマのままゴロゴロしているのが申し訳なくて、数日後にはお弁当も作り始めていた。見送った後、ベッドに倒れこむ。そして起きているのか寝ているのか分からないまま、気づけば夕方になっていた。毎朝の日課で開く新聞は、あたりが暗くなってからも同じページのままだ。夜に近づくと、少しづつ動けるようになり、アイロンをかけたり、洗濯をしたりする。夫の帰宅は20時~24時の間でバラつきがあったが、どの時間になろうと食事を作って待っていた。待っていることを求められていた訳ではない。家事もしなくて良いと言ってもらえていた。自分がそうしたかっただけだ。夫のため、というより、自分がお荷物になりたくなかったのかもしれない。少しでも役に立てるよう、家事は積極的に無理矢理こなしていた。
しかし背中には、常に何十キロもの重たい何かがあった。
仕事に行けないほど体調は悪かったのに、嫌われたくない一心で、家事をしていた。行動が矛盾していることに気づかない。冷静に考えることは出来なくなっていた。
何もせずに、ただ休むべきだったのだと今では理解できる。実際、最初の数日間はそうしていた。というより、そうする事しかできなかった。普通の風邪と同じように、1週間も休めば良くなるものだと思っていたから、数日後も辛いままなのに、気のせいだと思い込んでいた。
この無知からくる行動が、後に病状悪化へ導いているとも知らずに。
→うつ病②へつづく